ツンデレは現実には存在し得ない
より正確に言えば「現実にはツンデレと付き合うことはできない」というあたりになるでしょうか。なんにせよ現実の我々は、ある人がツンデレであるかどうかは、少なくともその相手と付き合うようになるまで判断することができません。なぜなら、ツンデレには「見た目はツン状態であるにもかかわらず、相手が自分に好意を持っている、という認識」が必要不可欠だからです。
たとえば、ツンデレの典型的なパターンとして挙げられる「べ、別にあんたのことなんて何とも思ってないんだからね!」という台詞。実際にこの台詞を言われたとき、その裏に好意が隠されていることに気づく人はまずいないでしょう。むしろ額面通りに「俺のこと何とも思ってないのか」と思うはずです。
仮に好意めいたものを感じ取ったとしても、せいぜい「もしかしたらこいつ俺に気があるのかも」くらいでしょう。「なるほど、この台詞は照れ隠しなんだなふふふかわいい奴め」などと考えるなら、それは単なる危ない人です。要するに現実には、ツン状態の「ツン」が好意を隠すためのツンなのか、それとも本当に自分を嫌っている結果のツンなのかは、ツンされている本人には判断できないのです。
誰かをツンデレであると認識するためには、「ツンツンしているのは、好意の裏返しであること」を知っている必要があります。しかし上に書いたとおり、それを知ることは、それこそ本人から告白でもされない限り不可能です。従って、ツンデレを認識することは現実には決してできないのです。*1
もちろん、ツンツンしている女性と付き合いはじめることで、あとから「ああ、こいつはツンデレだったんだ」と気づくことはできます。しかし、それは付き合うようになったことで「ツンデレだった」と気づくことであり、もともと「ツンデレである」と知っていたわけではありません。すなわち、「ツンデレ少女と付き合う」などということは、現実には不可能なわけです。私の言う「ツンデレは現実には存在し得ない」とは、そういうことです。
もっともこれは、実際にツンされたりデレされたりする当事者から見た話で、無関係の第三者からは、照れ隠しであることが比較的よくわかったりします。「あいつ、いっつも俺ばっかりちょっかいかけてきてむかつくよなー」とぼやく人に対して、その知人が「そいつ、お前のこと好きなんじゃねーの?」と指摘したりすることは、(多分)現実にもしばしばあることです。
その意味で、美少女ゲーム全般はツンデレを認識するのに非常に適したメディアであると言えます。美少女ゲームにおいて、主人公はプレイヤーの分身です。プレイヤーは主人公の目を通して、女の子と会話し、アプローチし、やがて付き合うようになります。しかしその一方で、プレイヤーはプレイヤーとしての視点――離れたところから、物語全体を俯瞰する視点――も相変わらず持っています。
つまり、美少女ゲームのプレイヤーは、女の子と接する当事者でありながら、第三者的な視点も持つという、極めて特殊な位置に立つことになるのです。このような立ち位置からなら、ツンツンされながらその実相手が自分(主人公)に好意を持っていることを知る、という現実には不可能なことが可能になります。*2要するに美少女ゲームにおいては、ツンデレをツンデレとして認識することが非常に容易なのです。「ツンツンしている=ツンデレである」という等式がほぼ成り立つほどに。
そしてだからこそ、「ツンデレ」という言葉は美少女ゲームブームの中で誕生し、広く一般に認知されることになったのでしょう。概念自体は十数年も昔からあったのに、いまになってそれを示す言葉が生まれたのは、美少女ゲームというメディアを通して、ツンデレという特性を記号的に捉えることが容易になったからだと思います。
(追記)
いろいろと反応があったり書きたいことが増えたりで翌日に追加であれこれ書きました→こちら
(さらに追記)
こちら