アナログな存在としてのキャラクターたち(または『ゼロの使い魔』12巻感想)

 いわゆる「萌え属性」の氾濫に関して、昨今ではしばしば「記号的なキャラクター」などといった言説を目にします。これに対して、私は以前より「キャラクターは究極的にアナログ的なものである」という考えを持っています。

 たしかに昨今のキャラクターの多くは、一見、「メイド」や「ツンデレ」といった記号によって成り立っているように見えるかもしれません。しかし「メイド萌え」だからといって、メイドであれば何でもいい、という人は少数派ではないでしょうか。多くの人は、メイドの中にも好き嫌いがあるはずです。「萌えるメイド」と「萌えないメイド」、この両者を分けるのが「いかにそのキャラクターを描くか」という部分だと思います。

 「メイド」という属性を持つキャラクターの魅力をいかに引き出すか。「ツンデレ」と設定されたキャラクターが、ツンからデレへ移行する様をどのようにして描くか。重要なのは「どういう属性を持たせるか」ではなく「キャラクターにある属性を持たせたとして、その上でどのようにキャラクター像を膨らませていくか」だと思います。そうした観点において、キャラクターというのは究極的にはアナログ的なものなのです。

 そして現在、そのことを私に最も強く意識させる作品が『ゼロの使い魔』です。


 はっきり言って『ゼロの使い魔』という作品は、極めてベタな作品です。新しいことはなにひとつ行っていない、といっても過言ではありません。現代日本から、異世界に召喚された少年が、実は伝説的な力を持っていて、大切なものを守るために勇気をふるって戦う。そんな主人公とくっついたり離れたりのラブコメを展開するのが、ツンデレで、やはり実は伝説の力をもった少女。アニメや漫画に慣れ親しんだ読者なら、お腹いっぱいで胸焼けしそうな設定・展開の嵐です。

 それでも、この作品は多くの読者に受け容れられています。

 ひとつには、そもそも多くの読者は斬新なものよりベタなものを好む、というのが挙げられますが、これはすなわち「ベタだから受け容れられている」ということを意味しません。ベタだからつまらないものも世の中にはいくらでもあります。『ゼロの使い魔』の上手いところは、その「ベタさ」を極めて魅力的に描いているところです。

 例えば、最新12巻ではこんな場面があります。主人公の才人に想いを寄せるメイドのシエスタが、裸エプロンで彼に迫るシーン。

「シ、シエスタ……、それ、伝説のはだかエプロン……」
 フィクションの中でしかお目にかかったことがない、噂の裸エプロンだった。現実に存在するとは……、と才人は死にそうになった。
(中略)
「なんで、そんな……、そんな格好……」
 ポロポロみっともなく感動の涙を流しながらそう言うと、シエスタは毅然として言った。
「暑いんです」
「あ、暑くないよ……。まだ春じゃないか……」
「暑いんです」

 裸エプロンで迫られる、とだけ聞くといかにもオタク的な展開でうんざりするかもしれませんが、実際に読んでみると、感動のあまりおかしくなりかけている才人の様子がよく伝わってくるのではないかと思います。

 このように『ゼロの使い魔』は、ベタはベタだと割り切った上で、そのベタさをしっかりと面白く演出しています。そうした演出がなければ『ゼロの使い魔』のキャラクターはこれほど魅力的たり得なかったでしょう。「平賀私立裁判」「『スキナオンナノコガジブンニホレテル』という名前の怪物」といった、ヤマグチ言語とでも言うべき独特の表現を用いて展開される描写があってはじめて、『ゼロの使い魔』のキャラクターは、我々を魅了する存在へと変わるのです。

 ルイズの性格を「ツンデレ」のひと言で書いてしまうのは簡単です。けれど、ルイズというキャラクターの本当の魅力は、実際に小説を読んだ人にしかわからない、と私は思います。属性を表す単語の組み合わせだけでキャラクターの魅力が生まれるのなら、描写など必要ありません。そうではなく、描写を積み重ねることでしか生まれ得ないキャラクターの魅力がある、と私は信じています。

 少なくとも『ゼロの使い魔』のキャラクターたちは、見た目の奇抜さを重視した他作品のキャラクターと比べて、いずれもひとりのキャラクターとして、しっかりと「血が通っている」ように、私には感じられます。


 さて、ここで私が思い浮かべるのが「王道」と「陳腐」という言葉です。

 ともに「ありがちな、ベタなもの」を指す言葉でありながら、一方は肯定的な意味で使われ、もう一方は対象を貶める意味で使われる。この両者を分けるのが、繰り返しになりますが「いかにして描くか」という部分だと思うのです。具体的にどうすれば王道になり、陳腐になるのかはわかりません。そここそが、作家の腕の見せどころなのだと思います。

 斬新さを感じさせる作品、勢いのある作品は私も好きです。しかしそうした作品は、しばしば「奇抜なだけ」「勢いだけ」になりがちです。それとは別の軸として、私はしっかりと押さえるべきところを押さえた作品も評価します。そして、そうした観点において、『ゼロの使い魔』は極めてよくできた「王道」な作品と言えるのです。


 とまあそんな小難しい話とはまったく関係なく『ゼロの使い魔』12巻はもうお前のドリルで天を突いてしまえばええがな的なラブでコメで寸止めな話でした。作者だけじゃない。僕たちの心の中にも、ラブコメさんはきっと、います。


おまけその1

 女の子がいっぱいいるならハーレムにしちゃいえばいいじゃん、と思った自分はもはや美少女文庫脳。


おまけその2

 ほんとにどうでもいい話ですが、私の記憶が確かならマリコルヌカラー口絵初登場おめでとう。(それどころか小説ではイラスト化自体初かも)