ツンデレあれこれ

 前回の記事に対するいくつかの反応に返答。

 普段はツンツンだけどベッドの上ではデレ、とかならツンデレ少女とのお付き合いが成り立ちそうじゃないだろうか。

 もしかしてそういう話じゃないのか。つかここで指すツンデレ原理主義者のいうツンデレなのか、俺のいう広義のツンデレなのか分からねえ。

 「ベッドの上では」、つまり相手の好意を確認し、付き合っているという前提でなおツンデレが成り立つか、というのは微妙なところで、付き合ってる以上ツン的アクションもデレのいち形態と捉えることもでき、とするとその時点でツンデレではなく単なるデレということになります。この辺はツンデレをどう定義するかによるかと。

 私は寡聞にして「原理主義者のいうツンデレ」「俺のいう広義のツンデレ」ともにどういうものを指すのかは知らないのですが、先の記事においては基本的に例として挙げた「べ、別にあんたのことなんて何とも思ってないんだからね!」の示すものを「ツンデレ的である」と定義しているつもりです(わかりにくいなあ)。

 そもそもツンデレが流行った背景としては「ツンデレ」という名称ができたというのが大きいかと。ツンデレの概念自体は昔からあり、ツンデレという名前がつく以前においても、皆それとは知らずに萌えたりしてたわけです。それがここに来て「ツンデレ」というこれ以上ないほど適切な名称がついたことにより、「それだ!」とばかりに皆がこぞって飛びついたことによって、爆発的にブームになったのではないかと。基本にあるのが「ツン(表向きの拒絶)とデレ(隠された好意)の対比」なので、「○○はツンデレ」のように女性キャラクター以外にも適用しやすい。さらにその性質を示すものが「べ、別にあんたのことなんて何とも思ってないんだからね!」のようにわかりやすくテンプレート化されたというのも大きいでしょう。*1

 名前を与えられ、記号化されることはそれが広く一般に認知される上で重要な要素ですが、ことツンデレにおいてはいい面ばかりではありません。今後*2漫画やゲームの中で少しでも照れ隠し的なアクションを見せたキャラクターには、すぐさま「ツンデレ」というレッテルが貼られるようになるでしょう。その果てにあるのは、キャラクターの真の記号化(詳しくは後述します)です。ツンデレという名称の誕生は、ツンデレとそれを取り巻く環境にとって幸福なことであり、同時に不幸でもあったというのが私の見解です。



 この際なのでツンデレについてもう少し書いておきますが、ツンデレはほかの萌え属性とは決定的に異なる点があります。それはツンデレという記号が、キャラクターの性格を直接的に表わすものだということです。

 たとえば「メイド」というのは職業に基づく記号ですし、「妹」というのはそもそも血縁関係からくるものです。それらはもともとそれ単体で「ドジっ娘」や「お兄ちゃん大好き」という性質・性格を持っているわけではありません。前例*3や適正*4、見る側の願望などによって、その属性に様々な性質や性格が付加されることによって、我々は萌えたり萌えなかったりするわけです。メイドであれば、妹であれば何でもいい、という人はあまりいないでしょう。我々は記号に萌えているようでいて、その実「属性と性質・性格の組み合わせの妙」に萌えているわけです。

 ここで重要なのは、性質はともかく、性格は記号化されないということです。もちろん「優しい」「内気だ」という風に性格を端的な言葉で表現することは可能ですが、実際にどう優しいのか、どう内気なのかを表現する言葉は、どこまでもアナログなものです。少なくとも「優しい子萌え」「内気な子萌え」といったような言葉は(存在はするでしょうが)あまり聞きません。つまりキャラクターというのは、「記号化されたもの=属性」と「記号化されないもの=性質・性格」の組み合わせであると言えます。

 さてここでツンデレですが、これは性格を示すものでありながら記号化されているという、非常に特殊な萌え属性です。先ほどの「キャラクター=記号+非記号」という式で言うなら、非記号の項に代入されるべきものであるにもかかわらず、記号としての性質を備えていることになります。つまり、ツンデレ属性を持つキャラクターは、記号+記号で成り立った、完全に記号的なキャラクターとなる恐れがある、ということです。

 とはいえツンデレにもいろいろなパターンがあり、また本質的にはアナログなものですから、作り手の側としてはどのようにツンデレを演出するかが今後の腕の見せ所となるでしょう。*5ただ、少なくとも見ている側では、一度あるキャラクターを「ツンデレ」として認識してしまったら、その言葉を脳裏から払拭することは非常に困難なものとなるでしょう。

 ツンデレがただ「ツンデレ」として記号的に認識され、消費されていく。それは一種の不幸であると同時に、ツンデレという名称が誕生したことによるある種の必然だと思います。何が悪かったわけではありません。ただ、概念を広めた「名前の誕生」によって、その概念の可能性が狭められるとは、つくづく皮肉なことだと思うのです。


 話は少し変わりますが、私は「ツンデレ萌え」という態度について、あまりいい印象を感じません。

 先日の記事に書いたように、ツンデレを認識し、萌えるためには、表向きの拒絶が照れ隠しの表れであることを知っている必要があります。しかし当のツンデレキャラにしてみれば、隠している好意が表に出ないように必死になっているわけで、そうした相手を萌え対象として愛でることは、自分としては「女心を弄んでいる」ようであまりいい気分にはなりません。

 これも同じく先の記事に書いたことですが、本来ツンデレか否かの判定は後付けでしかできないことです。しかし、ツンデレという概念が記号的に確立したことで、いまやツンデレだと判定することは非常に容易になりました。デレる前からツンデレだと知ることができ、萌えることが可能になったのです。

 しかし繰り返しになりますが、本来ツンデレは後付けでしか認識できません。それを、可能だからということで無邪気に萌えることに対して、私は「そもそも萌えキャラなんて男にとって都合の良い存在だ」というのとはまた違ったレベルでの、醜さ、みたいなものを感じます。ツンデレを否定するわけでも、ツンデレに萌えるのはいけないと言っているわけでもありません。ただ、ツンデレキャラに、ただ「ツンデレだから」という理由で萌えることには、そのような側面があるということを認識してもらえたら、と思うのです。*6

*1:いまになってツンデレという名称が生まれた理由についての推測は、先のエントリの末尾に記したとおりです(美少女ゲームを通して、ツンデレを記号的に捉えることが容易になった)。ちなみにさらにその背景にあるものとして、萌え文化の中でキャラクターの性質を記号的に捉えることが一般化したことが挙げられます。

*2:というかいまもうすでに割とそんな感じだったりしますが。

*3:それまで先達たるキャラクターによって作り上げられてきた、「メイドキャラ」「妹キャラ」のパターン。

*4:イメージ的にその記号にどんな性質・性格が合っているか、ということ。

*5:もっとも実際のところ、ツンデレブーム前後での様々な作品の傾向を見るに、作り手は受け手ほどツンデレという言葉に引きずられてはいないように思います。

*6:その意味で『つよきす』の霧夜エリカルートはなかなか興味深いです。主人公が惚れたのは、付き合ったところでデレるかどうかもわからない、ツン状態のお嬢様だったわけですから。