マブラヴオルタネイティヴを褒める(その3)

 前々回前回に続くマブラヴオルタ感想・第3回。最終回の今回は総論的なものになります。




 結局のところ「マブラヴ オルタネイティヴ」とは、どういう作品だったのでしょうか。

 ネットでの感想をいくつか当たってみると、オルタに批判的な方の意見の中に、キャラクターが次々と死んでいくような展開に対して、「スタッフはプレイヤーがそういう展開を望んでいると思っているのか」「アージュは一体何がしたいのか」といったものがいくつか見られました。その気持ちはよくわかります。自分の好きなキャラクターがあっさりと殺されれば、多くのプレイヤーはいい気はしないでしょう。

 しかしそこで、感情的な部分を切り離し、冷静な視点で作品を見直したとき、キャラクターの死という出来事の持つ意味がわかるはずです。第1回の感想にも書いたように、オルタの舞台は「戦争の現場」です。人が死なないほうがおかしい世界なのです。そうした枠組みがなければ描けない物語、テーマというものがあると思います。オルタの物語が、まさにそうしたものであった以上、キャラクターの死もまた、必要不可欠なものだったと私は考えます。


 単純な「萌え」や「燃え」を期待していた人にとっては、オルタの展開は一種の裏切りだと感じられたかもしれません。しかし私は、プレイヤーが望むものだけを常に提供し続けることが正しいことだとは思いません。新しい物語というものは、常に意外性の中から生まれてくるものだからです。

 その意味で、オルタは18禁ゲームの新たな可能性を創造しうる作品であるとさえ、私は考えています。それは、単なるポルノグラフィにとどまらない、ひとつの表現媒体としての可能性です。そうした方向性については、すでにkeyやTYPE-MOONの作品が高い評価を受けていますが、オルタの持つ可能性――美少女ゲームという媒体においても、戦争という大きな物語を描きうるということを示したこと――は、それらともまた異なるものです。

 スタッフとて、あのような展開を用意すれば、プレイヤーがどういう反応を示すかはある程度わかっていたはずです。それでもその道を選んだのは、そうしなければ描けなかったものを描きたかったからでしょう。それを単なる「自己満足」のひと言で片付けてしまうのは簡単ですが、少なくともオルタに関しては、そうした批判をはね除けるだけの一貫したテーマ性があったと思います。


 つまるところ「マブラヴ オルタネイティヴ」という作品は、既存の美少女ゲームと同じステージで語るべきではないのでしょう。物語やキャラクターが、これまで美少女ゲームの中核を成してきた、ポルノや擬似恋愛とはまったく異なるものを表現するために用いられていることからしても、別のものとして扱うのが妥当な見方ではないかと思います。そもそも物語展開上、選択肢を選ぶことにほとんど意味がない時点で、オルタはもはや「ゲーム」と呼ぶことはできず、ひとつの固有のストーリーラインを持つ「物語作品」としてくくるべきでしょう。

 そこではキャラクターの死などという出来事も、単なる作劇上のいち表現手段に過ぎません。その意味を深く考えず、感情的な反応を繰り返している限り、オルタという作品を正しく評価することはできないと私は思います。


 「人を選ぶ作品」そのひと言で片付けてしまうのは非常に簡単です。度重なる延期や、衝撃的なシーンの情報だけがひとり歩きしたことで、判断を歪められてしまった人も多いでしょう。けれど、そうやって割り切ってしまうには、マブラヴオルタはあまりにももったいない作品です。

 これからプレイする人、早々にクリアしてしまった人に対して私が願うのは、一度腰を落ち着けて、ひとつひとつの文章の意味を噛みしめながら、じっくりとプレイして欲しいということです。「人を選ぶ作品」と書きましたが、プレイヤーもまた、考えながらプレイすることが必要とされる作品だと思います。萌えや燃えのもたらす、感覚的な「心地よさ」とは異なる、物語の「良さ」というものを、少しでも多くの人が感じてくれることを願っています。