「新潮文庫nexはライトノベルレーベルではありません」について思ったこと

 8月28日に創刊される新潮文庫nexの中の人が「新潮文庫nexライトノベルレーベルではありません」と言ったことが話題になっているようで。

 これを最初見たとき、自分も「中の人はライトノベルをどういうものだと考えてるのか」とか思ってたんですが、よく読むと「ライトノベルではない」ではなく「ライトノベル“レーベル”ではない」と言ってるんですね。

 これだったら個人的には全然疑問はありません。


 今現在「ライトノベル」と呼ばれているものが、電撃文庫富士見ファンタジア文庫MF文庫Jガガガ文庫etc……といったレーベルを核にしているというのは議論の余地がないところだと思います。もちろんさまざまな例外はあるでしょうが、「ライトノベルレーベルで刊行された作品=ライトノベルである」という考え方は(少なくとも今はまだ)成り立つでしょう。

 で、今回、以前に電撃文庫から出た谷川流の『絶望系』が新潮文庫nexから復刊されるということで、にもかかわらずライトノベルではないとはどういうことか、みたいな議論があるようですが、これについては、

 ということでいいんじゃないでしょうか。


 そもそも『絶望系』をめぐる上記の議論は、もともとレーベルという枠組みの中で語られていたものに、小説の中身の話を持ちだしている――すなわち議論のステージがずれているわけです。ライトノベルか否かというのが、小説の中身で一意に決まると考えるから面倒なことになるのであって、もっと柔軟に、刊行される媒体でどちらにもなりうるのだ、と考えたほうが、(ライトノベルレーベルから刊行された作品が、しばしば非ライトノベルレーベルから刊行しなおされる今日では)有益なのではないかと思います。

 だいたい、一度ライトノベルレーベルで刊行された作品がすべてライトノベルだとされるなら、逆に「最初に非ライトノベルレーベルで刊行され、のちにライトノベルレーベルで復刊された作品」とか、あるいは「ライトノベルレーベルと非ライトノベルレーベルで同時に刊行された作品」*1はどうなるのか。個人的には、内容面でライトノベルとそうでないものを厳密に線引きしようとするのは、学術的な話をするならともかく、日常会話のうえでは今やあまり意味がないんじゃないかと思いますし、そのくらいのゆるい気構えでいたほうが、いろいろな意味で幸せになれるんじゃないかと思います。「ライトノベル」という言葉が指すものが、いついかなる時間/場所でも不変である必要はまったくないわけですから。


 まあ、ある作品がライトノベルかどうかという議論の裏には、しばしば「自分の好きなこの作品がライトノベル(非ライトノベル)とはどういうことかねキミィ」的な私情が透けて見えたりするのでなかなか面倒くさいのですが(笑)。とりあえず自分としては、ライトノベルか否かという判断基準を、小説の中身「ではない」ところに求めるという考え方が広まってくれるといいなと思います。

*1:ちなみにこれに当てはまる例としては、私の知る限り宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』や、『機動戦士ガンダムUC』の文庫版があります。どちらも文庫化なので、例として挙げるにはやや弱いですが。