変わる定義

 前回前々回のエントリの補足。

 私は前々回、「手段」としてのライトノベルという、『ライトノベル「超」入門』における定義を拡張して、小説の内容とともにパッケージング等を工夫し、ある一定の層に受け容れられることを目的として変化してきたのがライトノベルである、と書きました。そして実際、ライトノベルは中高生を中心とする読者に受け容れられて発展を遂げ、現在では「ライトノベルレーベル」とされるレーベルがいくつも存在するまでに至りました。

 この「ライトノベルレーベル」ですが、もともとは「ライトノベル」が用いた「手段」のひとつによるものであり、その「結果の産物」にすぎません。しかし、同様の特徴を持つレーベルが次々に誕生していった結果、現在では逆に、それらから刊行されている作品こそが「ライトノベル」と見なされる、という状況が生じているのではないか――私はこのように考えています。

 実際、例えば電撃文庫から刊行された作品に対して、「これはライトノベルではない」という人は基本的にいないと思います。このように、「レーベル」という枠組みは、ライトノベルの範囲を定める上で、最大公約数的な役割を担っており、そしてその「レーベル」によってライトノベルを捉えるという考え方は、非常に強く読者の中に浸透している、と私は考えています。ライトノベルレーベルで一度でも書いた作家が、それ以外の場所で作品を出すと、ことさら注目を浴びたりするのは、そのことを端的に象徴する出来事のひとつです。

 ゆえに私は、基本的に「ライトノベルレーベル」から刊行される作品を「ライトノベル(作品)」、それらの主な読者を「ライトノベル(の中心)読者」と規定しています。この「読者」が読む範囲は、現在のところ「作品(群)」とほぼ一致しています。もちろん中にはそれ以外の作品を読む読者も数多くいると思いますが、その影響が何らかの形で表れることは基本的にありません。ただ中には、前々回に例として挙げた「マリみて」や「戯言シリーズ」など、例外的に「ライトノベル読者」からの強い支持を受けている「ライトノベルレーベル以外の作品」もあり、それらは特例としてライトノベルに含めても構わないだろう、というのが私の考え方です。*1

 私が見る限り、ハードカバーもしくはそれに準ずる判型で刊行された作品の中で、「マリみて」や「戯言」と比較して、特に「ライトノベル読者」の支持を強く受けていると考えられる作品は、今のところ見あたりません。ゆえに『図書館戦争』もまた、ライトノベルではない、と述べた次第です。*2


 ここで強調しておきたいのは、上記の定義はあくまで「今現在」のものでしかない、ということです。今後、例えば「ライトノベル読者」の中心が中高生から大人へとシフトし、ライトノベルレーベル作品と『図書館戦争』が同じように読まれるような事態になれば、その時こそ私は『図書館戦争』をライトノベルに含めるでしょう。定義だって、絶対不変のものというわけではなく、いくらでも変わる可能性があるものであり、特に言葉ができてから20年もたっていないような「ライトノベル」ともなれば、5年後、10年後にその示すものが現在とまったく異なっていても不思議ではありません。

 そもそもライトノベルという言葉自体、3年ほど前からようやく市民権を得てきた言葉であり、それ以前に定義をしようとすれば、全然違うものになっていた可能性は大いにあります。また、ライトノベルという言葉が一般的になった今でこそ、過去を振り返って語れることも多いと思います(実際『ライトノベル「超」入門』でも、『源氏物語』はある意味ライトノベルと言える、というような記述があります)。そうした変化を見逃さずに捉えていくことは、まさにひとつの文化が変化していく過程を見つめることであり、それこそが、今後もライトノベルに関わっていきたい、と私に思わせている理由のひとつでもあります。


 前々回のエントリは、タイトルこそ「『図書館戦争』はライトノベルか」ではありますが、私は『図書館戦争』はライトノベルかどうかという議論には、根本的には興味はありません。私が「『図書館戦争』はライトノベルではない」としたのは、私の中での定義に照らし合わせてみると『図書館戦争』はライトノベルの範疇に含まれない、というだけの話であり、この構図が変化することがあるとすれば、何らかの要因によって私が考え方を変えるか、ライトノベルを取り巻く状況に変化があるかのどちらかしかありえないからです。ですから「いや、それでも『図書館戦争』はライトノベルだ」と主張する意見があっても、私は一向に構いません。

 ただ気になるのは、「○○はライトノベルだ」と直接的・間接的に表明している場合の多くで、その根拠が示されていないことです。別に私も、雑談レベルの話題に対してどうこう口出しするつもりはありません。しかしそれが、私に向けられたものであったり、何らかの発展性を持つものであれば、そうすべきと私が判断する限りにおいて、今後も自分の考えを述べていくつもりです。

*1:マリみてについては、そもそもコバルト文庫ライトノベルレーベルではないのか、という意見があると思いますが、私は読者層の重なり具合が小さいことを理由として、(「少年向け」「少女向け」といったような区別をしない限りは)原則としてコバルト文庫ライトノベルレーベルに含めない、という立場を取っています。

*2:一部では電撃初期のハードカバーはどうなんだ、という意見があるようですが、ハードカバーで出された以上私の中ではライトノベルではありません。中にはその後文庫落ちしたものもあるじゃないか、という意見に対しては、文庫落ちしたときにライトノベルになる、と答えておきます。そもそも十年以上前のものを今に持ち出してくること自体がある意味ナンセンスであり……(以下本文続きをどうぞ)。というか、電撃に限った話ではなく、富士見も角川も折に触れ何度かハードカバーで本を出してるんですけどね。