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「100部刷るのにも大きな覚悟がいるようなサークルもある」って、まさにそういう話をしてたんじゃないのか。リンク先は。
ついでに「だったら売れ行きがどうあっても次の本が出せるような形で出せばいいじゃん」はそれこそ、こだわりの問題が絡むんでは?
ところでライトノベルの話、「みなすみなさない」みたいな方向性は危険ですよ。あくまで個人的感性に留める場合でも。
全体的に、慎重さが薄れて問題が錯綜してる気がします。

 100部云々のたとえは「だから売ることも考えないといけない」という話ではなくて、200部300部刷ることで、同人活動と生活との兼ね合いをリアルに考えないといけないようなサークルばかりではなく、自分に無理のない範囲で(「売ること」をさほど重視せずに)活動している人たちもいる、端的に言えば同人というものの多様性に気づいてもらいたいがために引き合いに出したものです。「〜だからこうしろ」「ああしろ」というのではなく、そうした立場の人間も考慮に入れ、それに応じた書き方をして欲しい、というのが上のように書いた趣旨でした。その後の話については今日のエントリにあるとおりです。

 後半についてはちょっとよくわかりません。私には、もとの話題についてあれこれと考えているうちにどんどん思考がが発展していって自分でも何を書いていいかわからなくなる、ということが往々にしてあります。その結果途中の論理に明快でない部分が出てくることを常に恐れてはいますが、内容そのものは自分なりに考え抜いた末の結論を書いているつもりです。「もとの話題との繋がりがわからない」「論理展開に疑問がある」というようなことがあれば、どんどん指摘していただければ幸いです。

売ると儲けるはそもそも別物なのではないでしょうか?

 「売る」にも様々な意味があり、「(多かれ少なかれ)利益を得ようとする」というニュアンスでは、「儲ける」と共通していると思います。人によって受け止め方は様々かとは思いますが、今回はそうした意味で両者を同じようなものとして扱っている場合がある、ということだけご理解ください。


 追記。はてなブックマークより。

でも評論サークルなのに今時規範批評もな。

 新月お茶の会は評論サークルではなく文芸サークルです(評論もやりますが)。それとこのブログは私個人のものであってサークルとは原則無関係です。会へのご意見・ご批判は随時受け付けておりますが、そちらについては公式サイトよりお願いいたします。