「ライトノベルを薦める」ということ

 Angel Heart Clubさん、7月22日の記述より。

 うーん、ですから先のエントリは、ライトノベル作品を「ジャンル小説」としてではなく、あくまで「ライトノベルとして」薦めることを念頭に置いて書いているのですが。

 ライトノベルとして認識されている作品を、西洋ファンタジーやSF、戦記、恋愛といった小ジャンルにあらためて分類しなおして薦めるのであれば、単にそれぞれのジャンルに属する作品として薦めればいいのであって、そこでふたたび「ライトノベル」という言葉を持ち出す必要はないはずです。そもそも薦める相手がそのように読みたいジャンルをしっかり認識しているのなら、薦めるのは何もライトノベル作品でなくてもいいわけで。ジャンル小説的な観点から言えば、非ライトノベル作品のほうが良作が多いでしょうし、作品数も多いわけですし。「圧倒的大多数の一般人は、ライトノベルというジャンル(?)を認識することがない」のであればなおさらです。

 そこであえてライトノベル作品を薦める理由は、私には「ライトノベルだから」以外には思いつきません。では、ライトノベルを「ライトノベル」として読んだり薦めたりするとはいったいどういうことなのか、というのを論じていたのが先のエントリなわけです。別に一人前のライトノベル読み(と呼べる人間が本当にいるのかは謎ですが)を育てようというわけではなく、ライトノベルというものの性質を考えた上で、それを本当の意味で「読んでいる」と言えるレベルに達するには、必然的に数を読みこなしていくしかないだろう、という話です。

 ただ単に、それまで読んでこなかった人に、世間で「ライトノベル」とされている作品を1冊でも読ませたいだけなら、最近増えているライトノベル原作のアニメなんかがすでに十分な役割を果たしています。しかしそれではあとが続かない。そうではなく、そのような人たちをライトノベルのより深いところに引っ張っていきたい、というのが、ライトノベルを薦めようとしている人たちに共通する思い*1なのだと思っていたのですが。

 「読者は、“ライトノベルを読んでいる”ということを意識する必要は全くない」のはまあ、確かでしょう。しかしそこでジャンル小説的な視点を持ってくることは、非ライトノベル小説群との競合を生むことであり、何より「ライトノベル」としての魅力を殺してしまうことにほかならないと私は思います。ライトノベルとされている作品を数多く読んできた身としては、同じ薦めるのであれば、ライトノベルならではの魅力とは何かを考え、それを伝えることに力を注ぎたいと思います。「ライトノベルを読んでいる」ことを意識する必要がない一方で、「ライトノベルを読んでいる」ことを意識できるのもまた、読者だけなのですから。


 ちなみに、もし仮に私がライトノベル作品を分類するとしたら、「ドキドキする話」とか「わくわくする話」とか、あるいはライトノベル「超」入門にあるような、

「大長篇/連作短篇」

「読んで笑える話/泣ける話/熱くなる話」

「すごい女の子がメインの話/すごい男の子がメインの話」

「この作家が自信をもってオススメする他の作家の書いた話」

「文章はともかくイラストがいい話/イラストはともかく文章がいい話」*2

(『ライトノベル「超」入門』72ページ)


 といった分類にすると思います。

*1:id:kazenotoriさんの三階建て理論などはその典型的な例でしょう。

*2:「最後のやつは冗談です、もちろん。」とのこと。