同人誌を「売る」ということ(まとめ)

 その後も色々な方面からのご指摘を受けて、あらためて自分の考え方について思い返してみました。

 どうやら自分には「同人誌を『売る』」という表現そのものに対して強い抵抗があるようです。「同人誌」というのはもともと同じようなものを好む人々が、その中で楽しむために作るもので、必ずしも売ることを前提としない、と私は思っています。たとえば仲間内だけで回し読みをする、仲間の誰かが描いた漫画や小説だって、立派な一種の同人誌だと思うのです。そこには売り手と買い手、作り手と読み手という関係は存在せず、ただ「同好の士」がいるのみです。一方で「売る」という表現を用いれば、その瞬間そこには売り手と買い手という関係が生じてきてしまいます。そんな、一種の後ろめたさとともに口にされるべき「売る」という表現が、何のためらいもなく使われていた(ように見えた)ことに、私は強い違和感を感じました。そのあたりのことをうまく別の言葉に言い換えながら書こうとしたのですが、色々と失敗してしまったようです。

 私は即売会の主催者が、サークル、スタッフ、その他の人々をすべてひっくるめて「参加者」と呼ぶことや、同人誌を「販売」ではなく「頒布」するという表現に強い共感と同意を覚えます。それはある種の理想なのだと思いますが、根っこの部分に理想を抱くことは大事なことだと思いますし、逆に理想のかけらもなければ、いよいよ同人誌は「金儲けの道具」に成り下がってしまうことでしょう。このような観点において、私は今でも、自分の考え方が間違っているとは思いません。

 しかしその一方で、理想にこだわるあまり、それを広い範囲にまで拡張して適用しようとしたことや、現実への視線が疎かになっていたことは、深く反省すべき点として今では実感しています。大元の記事を書かれた方々も、決して儲けることを第一に考えているわけではなく、現実と理想の間で色々とやり方を模索しているのだ、というのは理解していたつもりですが、やはり書き方が軽率でした。「同人誌」の指し示すものが多様になってきたいま、そのありかたについても、「正解」と呼べるものを見出すのは困難になってきたのかもしれません。私としては、そのありかたが理想と遠くかけ離れたところに行き着かないことをただただ願うばかりです。