昨日の続き。今回のインタビューの、私の中での位置づけについて。


 個人的には今回のインタビューは、これまで私が行ってきたライトノベル語りの総決算というか、ひと区切り的な位置づけで考えています。もうちょっとはっきり書けば、ライトノベルという総体に対してあれこれ言うのは、今回のインタビューを最後にいったんお休みにしよう、ということです(ここでは大分前からそういうことは書かなくなってますが)。

 私がライトノベル語りを本格的に始めた04年というのは、ライトノベル解説本の類が一度に多数出版され、ライトノベルがにわかに注目を浴び始めた時期でした。当時の解説本というのは、正直話題になってるから出そう的な意識が強く感じられるものが多く、批評家的視点にのみ寄り添った、ライトノベルの実態にそぐわない言説も多々見られました。当時はそれに対して、そうじゃないんだ、ということを読者の立場から主張していく必要があったわけです。

 しかし、ブームが過ぎ、ライトノベルが当たり前の存在となった今、ライトノベル語りは新しい段階に進みつつあるように感じます。たとえば(まだ半分くらいしか目を通していないのですが)先日刊行された『ライトノベル研究序説』では、物語手法から商業的な側面まで、さまざまな角度からライトノベルというものに迫っています。参考文献も多岐にわたっており、今後のライトノベル研究のベースとなるに足る本だと感じました。と同時に「こりゃついていけねーや(自分の知識不足的な意味で)」とも思いました。

 こうした状況で「読者感覚」を盾にライトノベルについて語り続け、いっぱしの評論家ぶるのは見苦しいだけですし、かといって知識不足を補うほどの情熱があるわけでもない。このまま自分がライトノベル語りを続けるのはいろいろな意味でデメリットが大きく、ならばあとは情熱と知識のある人に任せて、自分はそれを見守っていこう、と考えた結果、冒頭のような結論に至ったわけです。

 もっともこれが理由のすべてというわけではなくて、ほかにもいろんな事情を鑑みてのことなのですが。これでライトノベル作品を読まなくなる、というわけでもなく。ただ、ライトノベル作品を「ライトノベルだから」という理由で読むことはなくなるのではないかと思います。

 とはいえ、これまで私が考えてきたこと、経験してきたことはそれなりに価値のあるものだと思うので、それ自体や、そこから感じたことなどはこれからも必要に応じて表明していきたいと思っています。それが、これからのライトノベルを考える方々の役に少しでも立てば幸いに思います。

 本当はインタビューなどではなく、きちんとした文章の形で一度自分の考えをまとめておきたかったのですが、余裕的に難しく、今回のインタビューをもってまとめに代えたいと思います。このような機会を与えてくれた、サークルファイブエム代表の坂下大吾氏に深く感謝を。そして、ライトノベルがこれからもおもしろくあることを。