定義しようとする前に、何のために定義するかを考えよう、という話
みんな大好き「ライトノベル定義論」について。
えー、とりあえず全員「ライトノベル『超』入門」を読もう。話はそれからだ。
- 作者: 新城カズマ
- 出版社/メーカー: ソフトバンククリエイティブ
- 発売日: 2006/04/15
- メディア: 新書
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ある問題について論じるとき、まずはそれについて論じている先行文献に当たるというのは、学問なんかでは基本的なアプローチのひとつ。特に今回の問題については当たるべき文献↑がはっきりしているわけで。実際↑の中には著者が述べるライトノベルの定義らしきものが書かれているので、それについての是非を議論するだけでも今よりか大分ましな話ができると思うのだけど。
今現在の議論では、どこかに「ライトノベルっぽさ」を司るなにかがあって、微妙な位置にある作品が、その「なにか」にどの程度合致しているかを、みんなでやいのやいの言い合っているだけのように見える。その「なにか」は人それぞれ違って、にもかかわらずだれも「それって何なの?」と言わないものだから、いつまでたっても話が進まない。
そもそも「何のために定義するのか」ってのが全然見えてこないわけですよ。「○○はライトノベルか否か」なんて、そんなに重要な問題なのか。自分なんかは、ライトノベルの定義について考えるときは常に「ライトノベルという現象を、時代の中に正しく位置づける」ことを意識しながら考えているつもりなのだけど。
まあ、ウェブというのは基本的に議論をするには極めて非効率な場所なので、そこからなにかが生まれるとは思っていないのだけど、もう少し話題に加わる人の間で意識レベルの統一ができればいいのになあ、とか。そもそも根本的に「ライトノベルを定義しようとしている人」「ライトノベルの定義が定まっていないことを自覚している人」「『ライトノベルの定義』というものに対して意識的な人」のほうが少数派なので、せめてそういう人だけでももうすこし自覚的になりましょう、とそんな話でした。