ライトノベルの市場構造を分析する態度について思うこと

ライトノベルの市場構造に関する話題を受けて。

 結果からこういう傾向が見て取れる、ということであればまあ、その通りかなという気もするんですが、それをレーベルごとの戦略と結びつけて考えるのはちょっと危険な気がします。

 とりあえず結果として現在電撃が業界トップに立っているのは間違いないでしょうが、どれだけ自覚的に戦略立ててその位置まで上り詰めたかという点では、個人的には疑問です。もし「こうすれば売れる!」というような確固たる方程式が成り立っているのなら、もっと露骨にそれを押し出してくるでしょう*1し。

 「コアユーザー狙い」という仮説に対しても疑問があり、むしろまんべんなく幅広い層に受け容れられているという考え方もあるのではないかと。たとえば「ちょっとえっちなラブコメ」なんていうのは、コアユーザー(オタク層)に受け容れられると同時に厨房神経をも刺激するわけで(笑)。そもそもコアユーザー狙いの作品ってどんなのよ、とか、コアユーザーとひとくくりにしてるけれどその中で分化が起きてる可能性もある*2んじゃないの、とかいう疑問もありますし。それよりもむしろ、読者が普遍的に好むようないわゆる優等生的な作品*3をいくつも出せた結果の産物である、という捉え方もできるのではないかと思っています。

 そしてさらに最近では、読者がレーベルにブランドとしての価値を見出すようになってきた、というのが挙げられるのではないかと。ネット上で記事をあれこれ読んでいると、書き手が電撃を特別視している、というか、「電撃とそれ以外」というような構図を念頭に置いて書いているような印象をしばしば受けることがあります。「電撃が売れている→電撃の作品ならはずれが少ない→買うならまず電撃だ」――このように、レーベルごとの優先順位というのが読者の中で芽生え、結果としてレーベル同士の差が生まれてきたというのも、ひとつの要因として考えられるのではないでしょうか。


 ただここで問題なのは、実際のところどんな売れ方をしているのかが具体的にはよくわかっていない、ということです。電撃がトップなのは確かとしても、独走なのか、それなりに拮抗しているのかで見方も変わってくるでしょうし、消費者層の構造にしても、ある程度の予想はできるものの、差異が見いだせるほどきちんと分化しているのか疑問だったりもしますし。このように、十分な情報を持たないまま、推測に推測を重ね、売る側の考え方(戦略)を代弁するようなことは、しばしば誤解を招くことにつながり、あまり感心できたものではない、というのが私の立場です。

 私はこれまでにライトノベル系非ライトノベル系合わせて何人かの編集者の方と話したことがあるのですが、そこで感じたのは、彼らとて必ずしも100%売ることだけを考えているわけではない、ということです。編集者も人間であり、好みがあります。売れないのではないかとうすうす感じつつも、自分が好きだから(よくできていると思うから)作品を本にすることもあれば、逆に作品としてはいまひとつと感じながらも、売れるから仕方なく本にすることもある。我々読者から見て「好きな本(よくできている本)」と「売れている本」がしばしば異なるように、編集者にとっても「売りたい本」と「売れる本」は違う、ということを話をしていて感じました。

 このような経験があるために、私はほかの人よりも若干判断材料が多いわけですが、情報量として不十分なことには変わりありません。要はどっちにしろ情報不足で、見方次第でいかようにも邪推できるということです。邪推するのは基本的には個人の自由ですが、ネットではそれが変な風に転がって「世論」を形成したりすることもあるので、軽率な振る舞いは控えようと、自戒の意味も込めて書いておく次第です。

 まあ、このへんの与太話は単純に作品を楽しむだけでは飽き足らなくなった人間の余技みたいなもので、読者としては面白い本が読めれば業界がどうなろうとどうでもよかったりするんですけどね。分析をする際においても、その原点だけは常に忘れないようにしておきたいと思っています。

*1:むしろそういうものが本当にあるなら誰も苦労しません。

*2:ライトノベルでも通用するような「小説としてしっかりした作品」と、いかにもオタクオタクしてる作品では、やはり消費層に少なからず違いが出るように思います。

*3:ここでいう「作品」とは、小説本体よりどちらかというとイラストやデザインを含む全体的なパッケージングを想定しています。個人的には、電撃のつるつるしてしっかりした表紙とスニーカーのしょぼいカバーは、購買欲を刺激するという点で結構な差になっているのではないかと思っています。