ライトノベルと奇書と言葉の定義の話

 なにやらちょっとした盛り上がりを見せている(た)こちら周りの話題について。

 問題だった点としてはこちらこちらで言われているとおり、未定義のものについて未定義のまま語ろうとしたしたことでしょうが、私が感じている限りこういった問題は今にはじまったことではありません。「定義されていない(できない)」と言われながらも、そのことに無自覚なまま「ライトノベル」という言葉が濫用されている(ように見える)現状に、私はしばしば矛盾しているような印象を受けていました。それでもその表面部分で遊んでいる間は大した問題は起こりませんが、今回たまたまその内面に一歩踏み込んだために問題が噴出した、ということだと私のほうでは認識しています。

 基本的に何を書いてもいいブログという媒体では、しばしば思いつきがそのまま記事になったりします。時にそのほうが面白い記事になることがあるのは事実ですが、同時にそうした記事からは「アップする前に、一歩立ち止まって内容を吟味する」という行動が省略されがちです。ネット上にアップされたものというのは、いつどこで誰が見るかわかりませんから、言葉の意味や記事の内容を広く他人と共有できるかということについて、もう少し慎重になってもいいんでないの、という気がしています。

 それにしても、今回の一件を受けて「じゃあ万人に受け容れられるような奇書の基準を考えよう!」というような流れに(今のところ)なっていないのが不思議といえば不思議です。ざっと見た限りでは、id:kazutokotohitoさんがミステリ三大奇書の性質から「三大奇書の条件」というものを考えておられるので、何とか応援していきたいところではあるのですが。


(追記)

 はてなブックマークより。

「ミステリ三大奇書の性質から「三大奇書の条件」というものを考えて」というのは誤解に近い。ミステリ三大奇書はあくまで発端。

 「ミステリ三大奇書の性質から「三大奇書の条件」というものを考えて」というのはこちらの、

個人的には、次の三点が奇書の条件だと思います。

  • ジャンル定義への純化
  • ジャンル定義からの越境
  • ジャンル定義の否定

ミステリで言うと、上から順番に黒死館、ドグマグ、虚無だと考えて頂ければわかりやすいんじゃないかと。

 を指してのものです。言葉通りに取れば、誤解とは言い難いのではないかと。上記のようなブックマークをされているのは大元の記事を書かれたmizunotoriさんですが、ご自身の記事に対する指摘と勘違いされているのではないでしょうか。