SFファン交流会参加レポ(後編)

 前回の続き。休憩後、キャラ類型解説の補足説明が再開されたところからになります。

  • 年上のおねーさん
    • すべてガンダムからなのはまあ、一種のギャグ(笑)。ただ実際ガンダムには年上の女性キャラクターが多く、このあたり富野由悠季は意識して作っていると思われる。
    • メーテルはこの項にはちょっと相応しくない(おねーさんというよりお母さん?)。「おねーさん」という表現には触ると「ぷにっ」とするようなイメージが込められており、松本零士的な美女にはこの表現は当てはまらない(覗いて見ることはできるが、触ることはできない感じ)。
    • 全員ガンダムから取ってきたのには、本の中にもたびたび書いている「ネクタイびと」へのアピール的な側面もある(恐らく彼らの中にはガンダムが原体験としてあるため)。この「ネクタイびと」という表現は、別に軽蔑的な意味で使っているのではなく、戦後の日本復興を支えてきた人々、というある種の尊敬も込められている。しかしその一方で、自分の好きなものに素直になる余裕のない人々、という批判的な意図も含まれている。
  • エルフ
    • 日本におけるエルフの歴史を理解する上では、やはり『ロードス島戦記』(と出渕裕のイラスト)が非常に重要。
  • ロリ
    • このあたりからそろそろ疲れが見えはじめる(笑)。
    • 歴史的にはやはり吾妻ひでおや内山アキが重要。
  • ゴスロリ
    • 比較的最近表に出てきた属性。
    • (客席からの補足)現実のロックファンが発祥で、その後フィクションに取り込まれた。時期的には80年代以降、パンクスのあと。さらに90年代に入ってロリータが入ってきた。日本特有のファッションであり、外国には存在しない。
  • 片目っ娘
    • こういう分類があるのではないか、という仮説。髪で隠れる→眼帯→義眼、という風に属性強度が上がっていき、広くはヘテロクロミアなども含まれる。
    • いわゆる対称性の消失。トラウマやスティグマ、傷ついた人を表現するのに用いられる。昔は主人公の師匠や敵などにしばしば用いられた。古くは柳生十兵衛など。
    • キャラクターを立たせる手法には大きく分けて「くっつける」と「削る・左右をずらす」の二種があり、片目っ娘というのは後者の典型的な例。
  • 車椅子娘
    • 新城氏が趣味で入れた項。それもこれもクララ・ゼーゼマンのせい、とのこと(笑)。
    • 病弱とは違い、どちらかというと「歩行困難」という要素が大きい。片目→松葉杖→歩行困難ということで片目っ娘との関連性も多少。
  • 電波系
    • 昔から「不思議ちゃん」などと呼ばれるキャラが存在し、その意味ではライトノベルが世間に追いついてきた例、と言える。
    • この項に関連して、大槻ケンヂがキャラ類型に与えた影響というのも考えていく余地がある。

 キャラ類型解説の補足説明がひと通り終わったところで、客席からの質問時間に。

  • 新城氏のライトノベル読書歴は?
  • 他の作家のライトノベル作品を読んでいて「これはやられた」みたいに感じることはあるか?
    • むしろもっと変なものが出てきてもいいと思う。売れ線は似たり寄ったりになってしまうことも多い。ただ、これは編集的に仕方のない部分もある。
  • ライトノベルでは長編・短編で毛色を変えるという手法がよくとられているが、これが狭義のライトノベルの特徴といえるかもしれない。この方法をはじめたのが富士見であり、このパターンを完成させたのがおそらく賀東招二

 ↑の話は第3章の「ライトノベルという手法」と繋がる話題であり、(時間がおしてきたということもあって)話は第4章に。

  • 第4章
    • ライトノベル解説本・紹介本について。2004年後半に一気に刊行された解説本の中で、最初に出たのは新城氏が関わった「完全読本」だったが、実際のところ機は熟していた(完全読本が出なくても同じことが起こっていた)のではないか。読者サイドには「もういいよ」という思いがあるかもしれないが、やはり「ネクタイびと」にとっては指針になる。
  • 第5章
  • ライトノベルと経済現象について
    • ライトノベルを経済現象と結びつけて考えているのは、その誕生と変化が日本経済に左右されてきた、という考えが根底にあるから。ライトノベル誕生から現在までというのはずっとデフレ不景気の期間であり、その中で女の子や子どもをターゲットに特化する形で変化し、売上を伸ばしてきた。こうした、誰がお金を使って誰がお金を吸い上げるかを考えていくことは、ライトノベルの歴史を説明する上で重要な要素となる。
    • いまのところ新城氏は「すぐにはオーバーシュートしない」という考えだが、これは新規レーベルが予想より少なかったため。ライトノベルレーベルはこれまで92年、98年にそれぞれ大きく数を減らしているが(ノベ超末尾の年表を参照)、これらはそれぞれ前年にバブル崩壊と消費税導入が起こった年。このように、レーベル数増加ではなく別の要因で危険な状況になる恐れが存在する。
    • 少子化というのは長期のトレンドであり、短期間での影響をはかることは難しい。たとえば子どもひとりあたりの大人の数が増えるので、お小遣いの額が増えるという予測も成り立つ。しかし今後消費税増の問題がなど発生してくるとまた状況が大きく変わってくるので、やはり今後を考える上ではライトノベル外の要因が怖い。
  • 「ゼロジャンル」について
    • この数年間の作品傾向に対するむずむず感を何とか説明したくて考えた概念。一般文芸でもライトノベルでもない単純な「いい話」を示す。
    • メディアワークスのハードカバー路線とは異なる。出版社には全体としてハードカバー志向とでもいうべきものがあり、ライトノベル系の出版社も数年周期でハードカバーを出す傾向がある。子どもに本を読ませたい、大人でも読める本を出したい、という意図なのだと考えられるが、実情を見るとやはり存続は難しい。
  • 今、作家として興味を持っていることは?
    • とりあえず色々やってみたい。ジャンル小説も書いてみたいし、キャラ類型の中でまだ取り上げられていないものを書いてみたい。たとえば数年後来るのではないかと思う類型に「お嬢様社長」や「ツナギを着た作業娘」がある。後者にはツナギという服装そのものの良さと、女の子を違和感なく泥だらけにできる、という長所がある(笑)。
  • 経済に対する興味が作品に反映されることはあるか?
    • デビュー前から経済学や言語学、物語類型に興味があり、独学で学んでいる。その中から使えそうだと思ったネタを作品に用いることはある。

 ここで会場のほうが時間切れということで、会自体はいったん終了。その後の二次会では、新城氏を囲って様々な意見が交わされ、一次会に勝るとも劣らない有意義な時間を過ごすことができました。


 レポにあるように、結果としてキャラ類型解説についての話がメインになったため、全体として「楽しい」会になったのではないかと思います。新城氏の語り口自体も非常に面白く、話を聞いているだけで面白かったです。その分ほかの章の話はあまり多くは聞けませんでしたが、個人的には「ライトノベルとは何か」という問いに対するこの本のアプローチにはほぼ全面的に同意しているため、そちらの方面で聞きたいことというのはあまりなく、むしろ今回の方向性はありがたかったです。

 ノベ超の内容については、もちろん賛否両論いろいろあるでしょうが、そもそも「ライトノベル研究」と呼ぶべきもの自体、きちんと体系づけられた学問として成立しているわけではなく、大人が読者層を形成しはじめている今、ようやくスタートしはじめたというところです。その中で出てきたノベ超は、業界の内情もある程度理解している現役の作家が、その上で客観的な立場から「ライトノベル」を論じた最初の本であり、いわば今後の議論の叩き台とすべき本なわけです。ことさら擁護するわけではありませんが、内容にある程度の不備があるのも仕方のない部分ではあり、そこを様々な角度から補っていくことが「論を発展させる」ということなわけです。こうした「ある論を叩き台に、議論を線型かつ経時的に発展させる」というのは、個人的にはネット上の考察などでしばしば欠落しがちな部分だと感じています。以前本の感想でも書きましたが、ノベ超は今後「ライトノベルを語る」上で欠かせない本です。その著者の話を直に聞くことができた今回の会は、やはり貴重かつ意義のあるものだったと思います。


 なにはともあれ、主催者様ならびに参加者の皆様、お疲れ様でした&ありがとうございました。私は今後「ラノベ論壇のカリスマ」を目指してあれこれ頑張りたいと思います(笑)。