「メカビ=メカと美少女」というのはなかなかに含蓄のある書名だと思う

メカビ Vol.01

メカビ Vol.01

 講談社から出た例の本。

 同じく読んだ知人と「この本誰に向かって売ろうとしてるのかよくわかんないよね」という話をしていて、そのココロはいかなるものだったか、ということを思い返してみると、要するにこの本に書かれている内容を本当に読みたいオタクがどれだけいるのか、ということだったのだと思う。

 オタクというのは基本的に自分たちにとって「心地いい」コンテンツを消費したいという強い指向を持っている人々なんじゃないかと最近思ってるわけですが、単に心地良いものを享受したいだけなら自分の好きなメディアの作品に触れて回ってればいいわけで。そうした枠を超えて二次的な言説まできちんと目を通しておきたいという人は、実はそんなに多くないんじゃないか、というのが個人的な印象。

 また、たとえ二次的な言説に興味がある人にとっても、この本のコンテンツひとつひとつが果たして本当に「読みたいもの」だろうか、と考えると正直疑問だったり。「アニメもゲームも漫画も網羅している」というようなオタクは恐らく少数派で、オタクの大半は自分の好きなメディアの作品を中心に消費している。そうした人々にとって、このような「オタク総合本」の記事の大半は興味の沸かない内容になってしまう。興味のあるメディアに関する記事にしても、総合本にしたことで内容が薄くなってしまったりして、結局個々のコンテンツを取り上げたときにはあまり魅力ある本ではなくなってしまっている。

 おそらくこの本を買った多くの人にとって、この本はあくまでネタとして読まれてるのではないだろうか。少なくともコンテンツの魅力を売りにする限りにおいて、「オタク総合本」的なものはいまや成り立たないんでは、というのを改めて実感した次第。


 一方で、評価したいと思う点もふたつほどあって。いわゆる「権威のある」人々の中にオタクに理解がある人がいて、その人たちの発言を活字にしてきちんと示したこと。もうひとつは、ネットでは著名でも世間ではアマチュアの、要するにどちらかというと消費者側に属する人の文章を活字にしたこと。

 「活字になる」というのはひとつの権威であり、少なからず「公式なもの」として扱われる。要するに力を持つ。そこにはネットであれこれ書いているのとは質量ともにまったく異なる影響力と責任が生じてくる。将来的にはネットの言説が活字と同等の権威を持つようになるかもしれないが、少なくとも現在のところ社会への影響力という意味ではネットは活字に遠く及ばない*1。ただ内容が同じものならネットでも書ける。けれどそれに社会的な影響力や責任を与えるのは、(いまのところ)出版をはじめとするメディアにしかできない。

 もちろん各分野の著名人にインタビューをするというようなことも、大手出版社の肩書きがなければできないことである。そういう「本だからこそできること」を、今後も推し進めていって欲しいところ。

*1:電車男だって本になったからあれだけ話題になったわけで。