「ライトノベル」を語る理由

 コメント欄の話題について、こちらなども参考にしつつ。いつも以上に長いのでご注意を。


 焦点になっている問題をひと言で言うなら「どうして人はライトノベルの売上について語りたがるのか」というような形になります。これに対する答えは突き詰めれば「人それぞれ」ということになってしまうので、ここでは私にとっての理由を書いておきたいと思います。

 私がライトノベル(の売上)について語る理由、それは端的に言えば「ライトノベルとは何か」を知りたいからです。

 たとえば、はてなキーワードの「ライトノベル」の項には、「あなたがそうだと思うものが〜」という、識者の方々にはもうおなじみのフレーズが書かれています。それだけ「ライトノベル」というものを定義するのが困難だという話ではあるのですが、実際のところ、これは定義するのを放棄しているのと変わりありません。にもかかわらず、ネット上では毎日のように「ライトノベル」にまつわる議論が行われています。

 定義不可能であるはずのものについて、当たり前のように議論がなされる。これは非常に奇妙なことです。なぜそんなことが可能なのかといえば、議論する人々それぞれが自分の中で最大公約数的な「ライトノベル像」とでもいうべきものを作り上げ、それに対する議論をしているからです。私はその「ライトノベル像」がどういうものであるか、というのを、きちんと言語化されたものとして提示したいと思っているのです。

 そのために私が用いようとしているのが、ライトノベルを特徴づける様々な事柄から、逆説的にライトノベル像を浮かび上がらせるという手法です。ライトノベルの売上について語るというのはその一環で、「主要読者が中高生である」という非常に大きな特徴がある*1ことから、むしろ内容的なものより重要な要素であるとさえ考えています。

 そうしてライトノベルの像が固まった暁には、最終的に「歴史の中にライトノベルを位置づける」という作業を行いたいと考えています。のちの世の人々に、「ライトノベル」とはどういうものであったかをなるべく正確に伝える、究極的には、それが私のやりたいことです。*2


 そうすることが健全であるかどうか、という問題については難しいところですが、少なくとも私は、自分の中でライトノベルを「なんだかよくわからないけど面白いもの」と位置づけ、何か語るときにも常にその原点を意識するよう気をつけています。そうした一種の、作品(群)に対するリスペクトを忘れない限り、語る内容がどのようであっても、健全であるといっていいのではないかと思います。


 あと「なぜ作品ではなく売上に話が向くのか」についてですが、結局のところ「議論ができるかどうか」が大きいのではないかと。

 感想について話をするというのは、究極的にはその感想に対して同意する/しないを表明するものであり、長続きするものではありません。一方売上についての話となれば、個人の理論を述べたり、それまで知られていなかった事実を提示したりしながら「議論」を行うことができます。前者と後者、どちらに多くの言が費やされるかは言うまでもありません。感想サイトも数多くあるにもかかわらず、議論だけが目立って盛り上がっているように見える理由は、恐らくそういうことです。

 これについては、いま現在ネット上に存在する、作品に対する言説のほとんどは、なんだかんだ言って「感想」の域を出ていない、という問題もあります。感想というのは完全に個人の主観によるものであるため、他人が否定することはできません。作品をだしに話をするには、過去の歴史や時代性とも絡めた「書評」にまで昇華させる必要があります。こちらなどはそれを行っている数少ない例ですが、書評を書くには膨大な知識が必要なうえ、それについて話すには普段とは比較にならないほどの言を費やす必要があるため、「ネタ」「馴れ合い」をコミュニケーションの方向性の基本に置いているネットでは非常に困難なことだと思います。


 最後に、ライトノベルを語る人間の資質についてですが、私個人としてはこちらの「1000冊読んでから話をしろ」に冗談抜きで同意します。*3年間数百という数の本が刊行されるライトノベルを総体として語ろうとするなら、そのくらいの量を読んでおくのはむしろ当然のことと言えるでしょう。*4

 とはいえ、さすがに1000冊というのは敷居が高すぎるでしょうし、もし実際にそうした基準を定めるとしたら、むしろ年間50シリーズというように、シリーズ数でカウントしたほうがいいと思います。さらに言うなら、ただ何冊読めと言うよりも、月に3、4度書店に足を運んで、文字通り手に取ってみる、買わない作品についてもチェックだけはする、ということが、「ライトノベル語り」をしようとする人間には求められるのではないかと。書店に足を運ぶことでわかることも少なくありませんので。*5

*1:昨今はその状況が変化しつつある、ということも含めて。

*2:私が『ライトノベル「超」入門』を評価しているのは、この本が「ライトノベル」というものを多面的に分析することで、ライトノベルを歴史の中に位置づけようとしたおそらくは最初の本であり、のちの議論の土台となりうるものだからです。

*3:もっとも「1000冊読む」ことの意味が、先方では「ライトノベルを語るには過去作を知っている必要がある」、つまりは「教養」のためであるのに対して、私のほうでは「ライトノベルの『いま』を正確に把握するため」ということで、ニュアンス的には異なります。

*4:さらに内容の話をするなら、漫画やアニメ、ゲームなどライトノベル周辺メディアの知識も求められます。

*5:たとえば新刊の平積み状況を見れば、どれが売れ筋かということは比較的容易にわかります。