いまのライトノベルは本当に「萌え重視」か?
こんな記事が。
青ひげノート:ライトノベルから与えられる萌え
んー、そもそも「萌え」という基準でしか作品の価値判断ができない読者にも問題があるような。
リンク先の「萌えは読者の側が判断するもの」という主張には私も同意なんですが、これは逆に言えば「どれが萌え重視の作品か」という判断基準も読者に委ねられているということでもあります。たとえばこの前出た電撃の「狼と香辛料」なんかは感想にもあるように非常によくできた話だと思うんですが、その気になれば「獣耳少女萌え」のひと言で済ませることもできるわけですよ。「萌え重視の作品が増えた」という言説は、そうした記号的な要素だけを取り出して作品を判断した結果であるように、私には思えます。
たしかに「萌え要素を持ったキャラクター」が登場する作品は増えたかもしれません。が、そういう作品が必ずしも「萌え重視」だというわけではありません。萌えキャラを出しつつも「読ませる」タイプの作品はいくらでもあります。にもかかわらず、萌え路線のキャラがひとりいただけで「また萌え狙いの話か」と判断し、そこで思考を停止してしまうような傾向が、一部の読者にはあるのではないでしょうか。*1
ほかにも色々な読み方があるはずなのに、真っ先に「萌え」が出てくるという現状。これは間接的に、「萌え」に大きな需要があることを示す、ある種の証拠であると思います。こうした考え方*2が当たり前のように通用している間は、「萌え重視」の作品がいまより少なくなることはないのではないでしょうか。
率直なところを言えば、いまのライトノベルが萌え重視だと感じていて、その状況を受け容れがたく感じているのなら、素直にライトノベル読者をやめて普通のジャンル小説を読んだ方がいいんでは、という思いもあります。そのほうが恐らく「当たり」を引く可能性は高いと思いますので。
それでもあくまで「ライトノベル」ににこだわるのなら、萌え重視云々といった現状を受け容れる度量が読者の側にも必要でしょう。結局のところライトノベルなんていうのは「水もの」ですから。