返信その2

 流星亭のKarmaさんからも返信をいただいていたようです。

 正直感情の先走った意見で反論する気力もあまりありませんが、偏った内容の批判を黙って見過ごすことで、向こうのサイトの読者の方に自分の考え方を誤解されるのは本意ではないので、一応内容的には理性的に反論していくつもりです。

 そもそもこれを読んだ上で批判してるのか伺いたい気分ではありますが、一応、読んでいただいたものと仮定して話を進めます。


 まずはこのコメントの意図するところについて。

 こちらのコメントへの返信に「悪魔の証明」の話題を持ち出したのは、そうすることでそのあとの、

それでもなお自分は「ありもしない高度な本格ミステリ的解決」を夢想して『ひぐらし』を過大評価し、失望したプレイヤーの側にも責任が無いとは言えないのではないか?と思うんです。

 の部分が無効になるからです。要するに「『ありもしない高度な本格ミステリ的解決』を夢想」することは、論理的推理を試みる限りにおいておかしいことでもなんでもないということです。私としては、あの作りなら問題編の最後までそういう読み方をしててもおかしくないんじゃない、というスタンスだったのでこのように書きました。

 後半は感情論だったので無視しました。以上です。


 で、読んでて思ったんですが、結局この方は「ひぐらし」批判が許せないだけなんじゃないでしょうか。

 何度か通しで読んでみましたが、どうもそうとしか思えません。私に対する反論も、客観的根拠のない主観的な願望や考えに基づくものばかりですし。

「推理」の定義を厳密には考えず、「予測・考察」レベルで考えていたプレイヤーが多かった

 そうですか。ではそうでない人もいたということですね。

悪魔の証明」云々以前に、全体像がまともに推理できていない時点で充分おかしいと考えるべき

 そうかもしれないですね。でも、私はそうは思いません。

 万事こんな感じです。


 「多かった」「〜べき」では有益なものはなにも生まれません。せいぜいが「自分が正しいんだ」ということを、相手にわからせる程度にしか役に立ちません。そんなものはただの話術であり、口喧嘩の領域で用いられる手段です。私がやろうとしているのは「分析」です。分析に口喧嘩の方法論を持ち込まないでいただきたい、と思います。

 Karmaさんのしていることは、私の目からは、プレイヤー一人ひとりの「『ひぐらし』の楽しみ方」というものを否定し、自分の読み方を押しつけているだけにしか見えません。それを「プレイヤーにも問題がある」などというのは、それこそ単なる問題のすり替えでしょう。「『ひぐらし』はこう読むのが正しい。こう読まない奴はアホだ」と言ってくれたほうがよほどわかりやすくて助かります。

批判側は「未完の作品に対する過剰な期待」や「ファン意識の影に隠れた自己愛」を自覚したほうがいいということは、きっちり主張しておきます。

 とのことですが、この言葉をそっくりそのままお返ししたいと思います。


 あれこれ言いましたが、ひとまずはこちらこちらの記事を読んで、私の問題意識が今どのあたりにあるかを知ってください。その上で理性的に疑問を提示してこられるならば、私も誠意をもって対応いたします。