「ひぐらし」とゲーム攻略

 あとこちらも反応遅れましたが、下記の記事についても少々コメントをば。


だじゃれ絵描き: ひぐらしと推理について


 1段目はOKなので2段目について。

>ここで重要なのは「『推理する』ことをプレイヤーに強く要請していたこと」と、「ここで『推理する』とはあくまで本格推理モノの文脈に乗っ取って行われる行為であること」の2点です。前者は言わずもがなですし、後者もとりわけそうではないことが強調されてはいなかった以上、当然のことだと思います。

少々気になる部分です。
果たしてそうでしょうか?

 ここで私が「本格推理モノ」と言っているのは、別に本格推理モノの原則をガチガチに守って云々、とかいうことではなく、単純に「論理的に解答を導き出せるもの」といったような意味で遣っています。ある謎が与えられたときに、まずは論理的に答えを見つけようと考えるのは当然の流れだと思います。書かれた方ご自身も記事中で、

裏の取れない推理は、言ってしまえば妄想と同様です。

 と仰っていますし。

 結果的に「ひぐらし」の謎は「妄想」を働かせないと導き出せないようになっています。要するに「推理」の定義を拡大解釈する必要があったわけですが、そうせずに最後まで論理的解決にこだわることはおかしなことではなかったと思いますし、そのような姿勢をとっていた人たちからの「論理的に出せない解答だ」という批判は(すでにあちこちでなされてますが)作者や「ひぐらし」を肯定的に捉えている方々は真摯に受け止めなければならない部分だと思います。

 これに対する「楽しみ方が狭い」というような指摘については、個人の「どう思うか」という領域の話なので特にコメントはしません。私としては単純に、作品の欠点として指摘するにとどめておくつもりです。


 実を言うと私としては、こちらよりも下記の記事のほうに感銘を受けました。


だじゃれ絵描き: ひぐらしと動機


 インターネットを利用して推理のための情報交換をさせる、という試みの面白さと可能性については、私も今回あれこれ書いてきた中でちらりと書いた記憶がありますが、そこまで踏み込んでは考えなかったので素直になるほどと思いました。

 要するに、昔は友達同士でゲームの解法についてあれこれ相談していた、その役割を現在はネットが負っているということなのですが、友達とネットでは参加する人数の規模がまるで違います。その結果、大抵のゲームは2、3日もあれば解法や裏技がアップロードされてしまうわけです。反則気味ではありますが、ソフト自体の解析という方法もありますし。

 対して「ひぐらし」は、問題編と解答編を複数に分割し、期間を開けてリリースすることで、「多くの人間に、時間をかけて考えさせる」ことに成功しました。ソフト解析という手法も、そのソフトの中に解答が記されていない以上効果はありません。「ひぐらし」のシステムは、ネット上において「友達同士の相談」を実現させた、画期的な方法だったと言えるでしょう。

 もっともこの方法は、問題編の段階からたくさんの人々が議論に参加していないと効果がないわけですが、結果的に「ひぐらし」はその壁をも乗り越えました。これについては「解答がない作品をリリースし、推理させる」という手法が受け容れられたこと、そしてそれを可能にした「ひぐらし」の「読み物としての面白さ」を賞賛するべきだと言えるでしょう。

 そういう私は、実は今に至るもネット上の議論には一切参加してこず、作者のコメントなどもほとんど見ずに来ていたのですが、今回の「ひぐらし」に関してはそういうスタンスのほうがむしろ異端なのでしょうね。


 ただまあ、問題編でのヒントを少なくすることで、解答を論理的に出せなくしたのはちょっとずるいなあ、とは思います。作り手側としては、解答編リリース前に解答を出してもらっては困るわけですから、問題のレベルを高く設定するのは当然のことですが、答えが出せないところまでヒントを絞り込んでしまったのは非常に残念です。おかげで私なんかは問題編を終えたときに「すべての謎を無理なく説明しきる、これまで誰も気づかなかった超ロジカルなトリックが明かされるに違いない!」とかいう期待を抱いてしまいましたし(笑)。