ネタバレは必ずしも未読者にとって悪なのか?

 ネタバレを「悪」とする意見の最大の理由は、未読者の購買意欲を削ぐから、というものでしょう。ネタバレによって読者はその作品への興味をなくし、作家は読者(購買者)をなくす。このような見方からすれば、確かに「悪」と言って差し支えないでしょう。しかし、未読者へのネタバレはどんな場合においても絶対に「悪」なのでしょうか。

 実を言うと私自身、誰が見てもネタバレだろうという、物語の非常に重要な部分を知ったあとにその作品を読んだorプレイしたという経験が何度もあります。具体的には、

 あたりです*1。「君のぞ」はなぜかいつの間にか知っていて、うしろふたつは自分から進んでネタバレを聞きました。にもかかわらず私はその後、それらの作品を読みあるいはプレイし、しかも特にネタバレを聞いたことを後悔してはいません。

 これは、ネタバレを聞いた時点で私がそれらの作品に対してさほど関心を抱いていなかったこと、そして何より、それらの作品がネタバレを聞いてなお、読みあるいはプレイする価値のある傑作だったためだと思います。

 もともとその作品に強い興味を持っていた人にとっては、未体験でのネタバレは絶対に回避すべき事柄ですし、多少興味を持っていた人が、ネタバレを聞いたことにより興味を失ってしまう、ということも十分に考えられます。しかし、そもそも興味の範囲外にあった人にとっては、ネタバレ要素ですら興味をもち、のちにその作品を体験するきっかけにもなりうるのです(そんなのお前だけだ、と言われたら言葉もないのですが……)。

 特に私の場合、ネタバレとはいえ聞いたのはあくまで「○○○○の正体は○○だよ」というただそれだけであり、前後の展開や、それがいったいどういう意味を持つのか、といった点に関しては詳しく聞きませんでした。自然、そういった点に興味が向き、結果として、世間に遅れることしばらくして、実際に物語を体験することになったのです。

 当然のことながら、その際予備知識なしで読み、プレイした人が感じるであろう驚きを味わうことはできません。しかしその代わり「なるほど、ここがこうだからあのネタがうまく機能するのか」といった分析的な楽しみ方ができました。また、ネタバレと関係ない部分も十分に面白く、作品全体として見たときには大いに満足できました。

 ぶっちゃけた書き方になりますが、逆に言えばただ一点のネタが割れることで読む/プレイする価値がなくなってしまうような作品は、所詮その程度の作品でしかない、という見方もできるのではないでしょうか。予備知識なしで体験する最初の1回にしか価値がないとするなら、再読という行為はまったくの無意味になってしまうわけですし。ネタを知った上で体験してもなお楽しめる作品、それこそを人は「名作」と呼ぶのだと思います。

 もっとも私の場合は、事故ではなく自分から進んでネタを聞いたわけで、何かの拍子でネタバレを耳にしてしまっていたりしたら別の評価になっていたかもしれません。さらに、本とゲームとではまた色々と事情が異なったりもすると思います。このあたりは、ぜひともほかの書評サイトさんや読者の方々にも意見を聞いてみたいところですが、とりあえずはネタバレが未読者にとっても必ずしも悪とはならない一例ということで、参考になればと思います。

*1:もうひとつ「Ever17」のネタもすでに知っているのですが、こちらは未プレイ。ただ、やはりいつかやるつもりで購入はしています。