ここしばらく読んだ本の更新が滞ってたのはこれのせいです

シャングリ・ラ

シャングリ・ラ

 1600枚はやはり伊達ではなかった。『終わりのクロニクル』7巻より時間かかったかも。

 見た目から森林化した東京を起点にいかにして地球環境を再生していくかを描いた一種のシミュレーション小説かと思ってたんだけども、(まあそういう側面もないではなかったが)実際は格闘少女あり、気化爆弾あり、オカルトありとほぼ何でもありの近未来武侠小説だった。まあこれはこれで面白かったけど。

 個人からいきなり世界とかにすっ飛んでしまう物語がぽつぽつある中、最近ではあまり見られない規模の話で風呂敷の広げっぷりはなかなか。色々言いたいことはあるんだけども、特に終盤の怒濤の展開で一気に読まされてしまう感じ。キャラクターも各々個性があって良。ニューハーフがここまで幅を利かせてる小説は初めて読んだ。

 それにしても登場人物のことごとく不死身なことよ。

やっぱばーちゃんは強いや

大誘拐―天藤真推理小説全集〈9〉 (創元推理文庫)

大誘拐―天藤真推理小説全集〈9〉 (創元推理文庫)

 第32回日本推理作家協会賞受賞作。

 いまからして見るとネタ的にはそう驚くものではないし、当時の時代背景があってこそ成り立つ話だという印象は否めない。が、スケールの大きさはいまの小説に引けを取るものではないし、知能合戦的な構成と展開はいまでも十分以上に通用すると思う。むしろ現代の作品というのはやはりこうした過去の名作の上に成り立っているのだなあ、というのを強く実感する結果に。うむ、読んでよかった。

 こういう思わずニヤリとさせられてしまうような結末は大好きです。

個人的に早いうちに全作品制覇しておきたい作家筆頭

魔王

魔王

 伊坂は『陽気なギャングが地球を回す』『ラッシュライフ』と読んだ時点で「個人的にこの作家に外れはない」とほぼ確信した作家なんだけども、この作品でもその確信が揺らぐことはなかった。政治のありかたがファシズム的なものに変わっていこうとしている架空の日本を舞台に、印象深い小ネタをちりばめつつ、果ては超能力めいた事象も登場させながら、それらを本当に自然に溶け合わせているのは見事のひとこと。もちろんエンターテインメントとして優秀なのは言うまでもない。

 ファシズム憲法を扱っておきながら、「テーマでも小道具でもありません」と言っちゃえるところが伊坂の凄いところだとつくづく思う。早いところ著作をコンプしておきたいところ。

「メカビ=メカと美少女」というのはなかなかに含蓄のある書名だと思う

メカビ Vol.01

メカビ Vol.01

 講談社から出た例の本。

 同じく読んだ知人と「この本誰に向かって売ろうとしてるのかよくわかんないよね」という話をしていて、そのココロはいかなるものだったか、ということを思い返してみると、要するにこの本に書かれている内容を本当に読みたいオタクがどれだけいるのか、ということだったのだと思う。

 オタクというのは基本的に自分たちにとって「心地いい」コンテンツを消費したいという強い指向を持っている人々なんじゃないかと最近思ってるわけですが、単に心地良いものを享受したいだけなら自分の好きなメディアの作品に触れて回ってればいいわけで。そうした枠を超えて二次的な言説まできちんと目を通しておきたいという人は、実はそんなに多くないんじゃないか、というのが個人的な印象。

 また、たとえ二次的な言説に興味がある人にとっても、この本のコンテンツひとつひとつが果たして本当に「読みたいもの」だろうか、と考えると正直疑問だったり。「アニメもゲームも漫画も網羅している」というようなオタクは恐らく少数派で、オタクの大半は自分の好きなメディアの作品を中心に消費している。そうした人々にとって、このような「オタク総合本」の記事の大半は興味の沸かない内容になってしまう。興味のあるメディアに関する記事にしても、総合本にしたことで内容が薄くなってしまったりして、結局個々のコンテンツを取り上げたときにはあまり魅力ある本ではなくなってしまっている。

 おそらくこの本を買った多くの人にとって、この本はあくまでネタとして読まれてるのではないだろうか。少なくともコンテンツの魅力を売りにする限りにおいて、「オタク総合本」的なものはいまや成り立たないんでは、というのを改めて実感した次第。


 一方で、評価したいと思う点もふたつほどあって。いわゆる「権威のある」人々の中にオタクに理解がある人がいて、その人たちの発言を活字にしてきちんと示したこと。もうひとつは、ネットでは著名でも世間ではアマチュアの、要するにどちらかというと消費者側に属する人の文章を活字にしたこと。

 「活字になる」というのはひとつの権威であり、少なからず「公式なもの」として扱われる。要するに力を持つ。そこにはネットであれこれ書いているのとは質量ともにまったく異なる影響力と責任が生じてくる。将来的にはネットの言説が活字と同等の権威を持つようになるかもしれないが、少なくとも現在のところ社会への影響力という意味ではネットは活字に遠く及ばない*1。ただ内容が同じものならネットでも書ける。けれどそれに社会的な影響力や責任を与えるのは、(いまのところ)出版をはじめとするメディアにしかできない。

 もちろん各分野の著名人にインタビューをするというようなことも、大手出版社の肩書きがなければできないことである。そういう「本だからこそできること」を、今後も推し進めていって欲しいところ。

*1:電車男だって本になったからあれだけ話題になったわけで。