ガガガ文庫は衰退しました

 ガガガ文庫、とりあえず新人賞の2作を読んだんですが。

マージナル (ガガガ文庫)

マージナル (ガガガ文庫)

学園カゲキ! (ガガガ文庫 や 1-1)

学園カゲキ! (ガガガ文庫 や 1-1)

 ここまでひどいとは思わなかった、というのが正直な感想です。

 いや、単純な作品単体での話をすれば、世の中この2作より出来の悪い小説はいくらでもあります。2作ともさほど無理なく*1話が展開できていることを思えば、良く出来ている*2といってもいいでしょう。ここで言いたいのは、むしろその「出来の良さ」が問題であるというような話です。

 重要なのはこの2作が、新創刊レーベル最初の新人賞受賞作、それも第1回配本分の一角をなす、まさにその後のレーベルカラーを左右する一翼を担っているということです。

 ひと言で言えば、2冊とも「華がない」のです。既存の作品と一線を画す斬新さや、一見すれば誰もがわかるほどのインパクト、ベタだとわかっていながら結末まで読ませるパワー。そうした要素が、この2作には決定的に欠けています。抽象的な表現を用いれば、第1回新人賞にしてすでに「枯れている」印象を受けるのです。

 創刊前から作品を募集し、そこから生まれた作品を創刊ラインナップのトップに持ってきたのですから、それらの作品を通じて読者に強くアピールしたいことがあると思うのですが、残念ながらこの2冊からは何らかの強い思いが感じられませんでした。私は新人賞はそのレーベルの勢いを示す一種のバロメーターと考えているのですが、その意味でガガガ文庫は創刊当初にして極めて勢いが弱いという印象を抱きました。2冊読んだだけで判断するのは早計と自覚した上であえて書きますが、この調子だとガガガ文庫はゆるやかに衰退へと向かっていくのではないか……という予感がします。
 

 以下の文章は多分に私見を含むのですが、こうした結果になった一因には、選考委員のひとりである冲方丁氏の存在があるのではないかと思います。

 公式サイト等での扱われ方を見るに、ガガガ文庫の創刊においては、冲方氏の影響は非常に大きいと思われます。当然その影響力は新人賞選考の場にも及び、3人の選考委員中唯一の作家だということもあって、選考において特に氏の意見が重視されたという想像は、さほど突飛なものではないと思います。

 さて、そんな氏の新人賞におけるスタンスは(多くの新人賞の選考委員を務めている*3ということもあって)、我々読者の側にも比較的はっきりと提示されています。

大賞に選ばれた『愛と殺意と境界人間』はテーマを明確にしようとする努力が土台となって技術や遊びを発揮しやすくしている。この受賞を機に、物語の段落についての思考を鍛えることで、より深いものが書けるようになる。二十代になったばかりの若さにも期待が持てる。ガガガ賞の『学園カゲキ!』は、学園ものに軽いひねりをくわえた軽快さが売りになっている。大きな仕掛けが最初から仕組まれているということをもっと意識し、物語の段落を工夫すれば、何倍も楽しめるものになる。

佳作の『携帯伝話俺』および『Re:ALIVE 〜戦争のシカタ〜』は、それぞれアイディアに光るものがあったが、それらの活かし方に難がある。文章の遊び、セリフのやり取り、いわゆるライトノベル的なバトルに終始するのではなく、物語作りを意識すれば、より良い作品になる。

(同上)

伏線の回収といった当たり前のことが当たり前に出来ていることを何より評価したい。(中略)「センスが古い」「キャラが立っていない」「突出したものがない」といった難点が挙げられたが、いずれも後から付け足せる要素である。

第1回MF文庫Jライトノベル新人賞選考結果『自己中戦艦2年3組』*4へのコメントより)

 これらから読み取れるのは「しっかりした物語へのこだわり」です。しっかりとテーマを定め、それに沿ってストーリーを展開できているか。物語が最後まで無理なくつながっているか。前後の整合性がきちんととれているか。上記の文章からは、氏がそうした点を重視して選考にあたっているであろうことが類推できる*5と思います。逆に言えば、氏の中では「萌え」や「キャラクター」、「インパクト」といった点は、さほど重要ではないのでしょう。*6


 しかし、私の個人的な考えですが、「小説として良く出来ていること」は、ライトノベルと呼ばれている作品群において、必ずしも「正しいこと」ではありません。

 毎年1000近い数の作品が刊行されるライトノベルでは、何よりもまず、隣に並べられた作品と比較して「目立つ」ことが重要になります。そのような場面において、小説そのものの出来というものは、はっきりいってほとんど役に立ちません。役に立つのは、あらすじやキャラクター、イラストなど、ひと目で、あるいは短時間で判断することのできる要素です。*7

 このスタートラインでおくれを取ってしまえば、いくら中身が良くても売れないのは当然の帰結です。売れた作品はシリーズ化してどんどん人気を得、売れない作品はあっさり打ち切られるのがライトノベルですから、いかにして1冊目を手に取らせるかがまずは大きなポイントになります。そのためには、あからさまに萌え路線に走るであるとか、アイデア一発勝負で挑むというのは、決して悪い手ではない、どころかわかりやすい特徴がある分頭ひとつ有利だとさえ言えます。*8

 そのことに対する是非はここでは問いません。重要なのは、ライトノベルがいま現在「そのようなもの」として存在しているという事実です。

 どんなに小説としてよくできていても、売れなければ続刊は出ず、作家としても生き残っていけない。そうしたシビアなルールが、ライトノベルを取り巻く環境には厳然と存在しています。そうした世界で、周りの状況を鑑みず「小説の良し悪し」を叫ぶことは、今日の食事にも事欠くような人々に、ありがたい説教を述べることに似ています。ライトノベルには、ライトノベルなりにこれまで積み上げてきたものがあり、それを無視しすぎてしまっては、伝えたいことも伝えられません。

 冲方氏は「キャラ立ちやセンスはあとから付け足せる」と述べていますが、面白い作品になるか否かという点において、「物語としての出来」と「キャラ立ち」や「センス」は、要素としての優劣はあまりないのではないかと思います。整合性のある物語を書く能力と、キャラを立てる能力やセンスとで、身につける難しさに大きな差があるとは私には思えません。逆に、インパクト勝負の1冊目で土台を作り、2冊目、3冊目と重ねていきながら小説の書き方を学んでいく、そんなやり方もあるのではないかと思うのです。


 小説としての質を重視――大いに結構。しかし、それを最優先に考えて作品を出していくには、現在のライトノベルという空間はいささか不適当*9であると言わざるを得ません。最初から、売れないのを覚悟で長い目で育てていくつもり*10であり、実際にそうなったなら問題はないでしょう。しかし、小説としての出来を追求させたあげく、売れないからとあっさり切り捨てるような事態になれば、誰よりもかわいそうなのは、そうした外部の都合に振り回された新人作家であると思います。


 ちなみに冲方氏は、ガガガ文庫以外にも、角川スニーカー文庫MF文庫Jの新人賞の選考委員を務めています。氏の望む「ギョーカイのハッテン」のためには望ましいことでしょうが、新しい才能や作品を生み出す場である新人賞という世界でひとりの人間が大きな力を持つことは、多様な作品を生み出す土壌としてのライトノベルを衰退へと導く恐れがある……と思うのは、私だけでしょうか。


(追記)

 補足記事

*1:ここでの「無理なく」とは、読者が読んで展開に無理があると感じない、ということではなく、ある展開が描かれたとき、その理由が作中できちんと書かれている、というような意味です。

*2:とはいえこの2作が小説として特別優れているというわけでももちろんありません。個人的な好みの問題もありますが、2冊ともキャラクターがストーリーのために都合良く動かされている、駒のように扱われていると感じたのが自分の中では大きなマイナスでした。中でも『マージナル』の主人公の馬鹿さ加減(携帯電話を持って行くのを忘れる等)はさすがに許容範囲外でした。

*3:詳しくは後述

*4:のち『青葉くんとウチュウ・ジン』と改題し刊行

*5:冲方氏の著作『冲方式ストーリー創作塾』を読めば、物語に対する氏の考え方がよりよくわかるのでしょうが、私は読んだことがないのでここではひとまず触れないでおきます。

*6:実際『このライトノベルがすごい!2006』の「目利きが選ぶ〜」のコーナーでは、萌えに対する批判的な表現が見られます。

*7:もちろん中には(少しでも作品の出来が想像できる)作家の名前で選んで買う、という人もいるでしょうが、そうした買い方をするのは購入するにあたって様々な余裕がある一部の大人であり、全体の中では少数派だと思います。

*8:もちろん私も、1冊目が売れなければ何もかもが終わりだなどとまでは考えていません。むしろ最近では、読者の平均年齢上昇に伴って、小説としての質で判断するという視点が生まれはじめているように感じています。また、長期的に戦っていく上では、最終的にはやはり中身で勝負することになってくると思います(とはいえ、そこでもやはり「出来の良い作品が強い」ということにはならないでしょうが……)。

*9:実際、作風がライトノベルの主流とずれている作家を中心に、レーベルに縛られない形で作品を刊行する動きが見られます。

*10:電撃文庫あたりはそうした様子が見て取れます。