デザインの良し悪しを決めるのは遊び心じゃない

 上記エントリが上がるきっかけになったと思しきやり取りが、数日前Twitterであった。そのときは(まあTwitterなんで)なんとなくで話が終わってしまったのだけど、エントリとして立ってたのでこの際はっきり自分の意見を書いておきたい。

 まずは上記エントリの引用から。

最近ラノベのデザインが良いとか聞くけど、正直漫画に比べるとまだまだだよなぁ、と思います。

漫画も昔はデザイン一律同じだったんですけど、それでも「(有)椎名百貨店」のカバー下とか結構遊び心あったんですよね。

装丁関連で言えばスクエニや角川と比較的漫画の歴史が浅い所が積極的に取り組んでいるという印象があります。



という訳で漫画でやっててラノベが未到達or定着してないデザイン上の遊び心を幾つか挙げてみます。

 以下「デザインに遊び心のあるマンガ」の紹介が続くわけだが、上記の文章の要点をまとめるなら、

  • ライトノベルのデザインはマンガに比べるとまだまだだ
  • なぜなら遊び心がないから

 といったところだろう。ここから、

  • いいデザイン=遊び心のあるデザイン

 という執筆者の考え方が伺えるわけだが、これに対しては大いに反論がある。

「いいデザイン=売れるデザイン」

 そもそも本における「いいデザイン」とは何か。かっこいいデザインか。かわいいデザインか。読者の立場から見れば、それらはひとつの解答になりうるだろう。しかし、本を1個の「商品」として考えると、答えはただ1つしかない。「売れるデザイン」だ。*1

 本は単なる「芸術品」ではない。そういう側面があるのは否定しないし、自分も読者の立場からはそういう側面を大事にしたいと思っているけれど、売る側=出版社にとって本は何よりもまず「商品」だ。商品の価値を決めるのが「売れるか売れないか」であることは言うまでもない。そして、デザイナーにお金を払っているのは読者ではなく、売る側――出版社である。デザイナーに求められることは、売り手の意図を汲み、与えられた素材(イラスト)を、見たものが手に取りたくなるような形に加工すること。その結果「かっこいい」「かわいい」デザインができたとして、それはあくまで結果でしかない。

 ただ「かっこいい」「かわいい」だけのデザイン――「デザインのためのデザイン」は、「商品のためのデザイン」とは必ずしも一致しない。デザインを評価しようとするなら、まずはこうした視点を持つことが必要だと思う。

「いいデザイン=遊び心がある」ではない

 さて、「売れるデザイン=いいデザイン」というのを考えたときに、上記エントリーで取り上げられている「遊び心」というのは、実はそのほとんどが意味を成さない。なぜなら買い手が本屋で目にするのはほとんど表紙(カバー)であって、それ以外の部分、たとえば本体の表紙*2や袖*3が目に入ることはまずないからだ。書店でシュリンクのかけられていることの多いマンガならなおさらだろう。

 デザインの良さを云々するなら、まずは表紙(カバー)について語るべきであり、それ以上のことは、ある意味むしろ蛇足とすら言える。カバー下や袖で遊ぶというのは、ただ本を読むだけでは満足できず、こうやってブログでデザイン云々と語っている、我々のような人間だけが見つけては楽しめる、文字通り「遊び」でしかないのである。*4 *5

 その点、冒頭のエントリからは、なんのためにデザインがあるのか、という視点がすっぽりと抜け落ちている。必然的に「ライトノベルのデザインはマンガに比べるとまだまだ」という指摘も的外れだということになる。*6 もし冒頭のようなエントリを上げるならば、デザインという言葉は用いず、「こういう遊びのあるマンガがあるよ」という紹介にとどめておくべきだろう。

 「デザインの良さ」と「遊び心」とは、決して直結しない。*7 仮にそれらが結びつくとしたら、それはデザインよりももっと前、エディトリアルやプロデュースの段階においてだろう。

*1:言うまでもないことだけれど、これは別に本に限った話ではない。

*2:カバーをめくった下、本体の外面。

*3:本体に巻かれたカバーの、本体に折り込まれる部分。

*4:冒頭エントリの例では「出版社を跨いだ共通デザイン」(読者の交流によって売り上げアップが見込める)、「鮮烈なキャッチコピー」あたりが辛うじて売り上げに寄与しそうだが、前者はライトノベルでも同じようなこと(同じ作家の作品に続いて同じイラストレーターを当てること。時雨沢恵一作品とか竹宮ゆゆこ作品とか。出版社をまたいでいるわけではないが「読者は作家名を憶えない、むしろイラストレーター名を憶える」と言われるライトノベルにおいて、前作の読者に次作も買わせるという点ではコンセプトは同じと言える)をやっているし、後者は方向性としては「他の作家に帯コピーを書いてもらう」というのと大して変わらないように思う。てか帯キャッチがおもしろいというのはデザイナーじゃなくコピーライターとしての評価だ。

*5:根本的な話をすると、そもそも私はデザインというのはどこまでも縁の下的な存在であり、いいデザインというのはいい素材あってのものだと思っている。例えるなら、里見英樹に装丁をやってもらうより、いとうのいぢにイラストを描いてもらったほうが売れるよ、というようなことだ。里見英樹がデザイナーとして優秀であることは否定しないが、私はむしろ彼の仕事ぶりにおいて注目すべきは「この作家なら里見装丁だろう」的なブランド力(『はるみねーしょん』のデザインを里見英樹がやったことは、この筋に明るい人間なら当たり前のように予想できただろう)と、そこに行き着くまでのプロモーション能力だと思う。このへん多分『オタクとデザイン』1号の記事を読むといろいろ参考になりそうなのだが人に貸しっぱなしだった。不覚。

*6:割とこれが言いたかった。

*7:ここで言う「遊び心」とは、冒頭エントリに例示されたような、言わば「(本を開くまで見えない)仕掛け」のことを指す。それとは別に、ぱっと見わかるような形で遊び心を働かせることは十分可能だし、それはむしろ優れたデザインとして評価できる。たとえば冒頭エントリにも挙げられた『もやしもん』は、むしろ1巻カバーに絵がないとか、毎巻カバーデザインが全然違うというような「遊び心」をこそまずは取り上げるべきだろう。