同人誌を「売る」ということ

 書いていることついてはまあ、理解できないでもないですが、これらの記事を読んで私が強く反発を覚えるのが、その裏に透けて見える「同人誌」の捉え方です。

 本来同人誌というのは、読んで字のごとく「同好の士が集まって作る本」であり、要するに「作りたいから作る」ものなわけです。どれだけ売れるかなんてのは二の次三の次、とにかく「何かを表現したい」という強い思いを持つ人が作るものだと私は思います。採算が取れないのがむしろ当たり前であり、それを「何とかして売ろう」などと考えることは、私には一種不健全なことに思えます。

 そもそも同人誌を作るというのは、読書をしたりゲームをしたりするのと同じ、趣味のひとつなわけです。お金を得るために読書やゲームをする人はいません。頒布することで多かれ少なかれお金を得られる同人誌づくりのほうが、趣味としてはむしろ特殊なのです。本を買うお金が、ゲームを買うお金がなければ買うのを我慢するように、同人誌もお金が貯まるまで作るのを控えておけばいいだけの話です。

 単純に「多くの人に自分の作品を見て欲しい、でもお金がないから本が作れない」という人は、今はインターネットがあるわけですから、そこで作品を発表すればいいわけです。そのほうがお金もかからないし、長い目で見れば本を作るよりも多くの人に見てもらえます。それをあえて「本」という形で提示する理由は、作り手一人ひとりが持っているものだと思いますが、もしそれが「お金が手に入るから」であるのなら、それはもう同人誌ではなく、ただの「商品」でしかないと私は思います。

 無数の作り手の中には、どう転んでも利益など出せそうもない形で本を作っている人*1もたくさんいます。彼らを作り手たらしめているのは、損得を超えた「同人誌に対する強い思い」なわけです。その中で、採算がどうこうと考える、考えられるだけの余裕や可能性があるということ自体が、すでにある種のアドバンテージを得ていることを示しているわけです。お金のことが気になって、虚心坦懐に本作りに打ち込むことができないのなら、私は同人誌作りなんて辞めてしまえばいい、とさえ思います。


 時代が変わり、同人誌とそれを取り巻く状況も変わってきました。なまじ「お金になってしまう」ために、もっと売るには、というような方向に考えが向くのも仕方のないことなのかもしれません。しかしだからこそ、すべてのスタート地点である一人ひとりの作り手には、根っこの部分に「自分は何のために同人誌を作っているのか」という問いを抱き続けていて欲しいと思うのです。

*1:超マイナージャンルの作り手など。

ライトノベルのイラストと作家の関係

 ライトノベルのメイン読者層である中高生をターゲットに「売ること」を考えたとき、この「作家と絵師にコンビを組ませる」というのは非常に有効な手段でして。というのも、彼ら中高生には「作家の名前を憶えない」という現象がしばしば見られるようなのです。そのため大ヒット作を出した作家の次回作がヒットするとは限らず、だからこそシリーズ化が標準という現在の体制ができたのだという側面もあるでしょう。

 一方イラストによる識別力は強く、聞いた話では「作家の名前は知らないがイラストレーターの名前ならわかる」ということさえあったそうです。その意味では「ライトノベルにおいては、著者よりもイラストレーターのほうが重要である」と言っても過言ではないと思います。

 ここに作家と絵師にコンビを組ませる利点が生じます。つまり、ヒット作と同じイラストレーターがイラストを担当した作品が、内容まで前作と似ていたなら、その作品も同じくヒットする可能性が高い、ということです。逆に、デビュー作がいまいち振るわなかった作家に、イラストを変えて巻き返しを図らせる、というようなことも戦略として充分考えられます。作品性という観点からはどうあれ、売ることを考えたときには、ヒット作のコンビを継続させるというやり方は極めて有効である、と言えます。